考えすぎ子ちゃんの記録

考えすぎちゃう子が頭を整理する記録

頑張りすぎちゃう人へ。〜“心の固定費”という考え方〜

 

「休むのが怖い」

「仕事ばかりで、自分をおろそかにしてしまう...」

「もっと心の余裕がある人になりたい…」

 

こんにちは、みるくてぃーうさぎです!

 

仕事や家事、目まぐるしい毎日を送る中、

なかなか、「心穏やか」には過ごせませんよね。

 

そこで、

メンタル弱弱!傷つきやすい!よく病む!

INFP!HSP(?)

な私が

心穏やかに過ごすために気をつけていることを!

もとい!自分を甘やかす言い訳に使っている言葉を!

共有しにまいりました、

 

言葉の初売りセール🐴🔅

 

その名も!「心の固定費」

 

今回は、この言葉をいいようにじゃんじゃか使ってもらって、

心穏やかな1年を送っていただけば、という願いを込めて書いていこうと思います!

 

今年もどうかよろしくお願い致します!

 

目次

 

 

心への課金をケチってはいけない!

 

「心の固定費」とはなんぞや?

ということから話しましょう。

 

みなさん、サブスクとかNetflixとかって入ってますか?

私は金がないので、そんなには入ってないのですが、同僚によると

「いやー、ネトフリはもうインフラでしょ」

だそうです。

 

それを聞いて私は閃きました!

 

この考え方を、心にも取り入れよう!

 

インフラって言うと本来は、電気とかガスとかそういう生活をする基盤となるものですよね。

 

いや、心だってそうでしょ!!!ということなのです。

 

もし、電気代をケチって電気止まったらどうしますか…?

私は1度なりました、一人暮らし初期の頃。

猛省しました、マジで何も出来なかったです。

風呂も入れないしトイレもできない…。

 

私は、心の病気になったことは多分ないので、詳しくは分かりませんが

そういう病気を患って、働けなくなったり、何も出来なくなってしまう人もいるようです…。

 

と、考えると、ほんとに電気と似ているではありませんか。

 

しかし、電気と違い、心は目に見えません。

だから、ついついないがしろにしてしまう方も多いのかもしれませんね。

 

体同様、心も資本なので、大切にしたいです!

 

「心の固定費」の使い方、実践編!

 

ここからは具体的に私が

「心の固定費」としてなにを計上していて、

どんな風にこの言葉を言い訳として使っているのか、実践編を見せていきたいと思います!

 

まあまず思いつくのは、時間ですね。

 

例えば職場選び。

私はすこし体が弱いというのもあり、

もともと、年間休日や残業時間にはこだわってましたが、心の健康的にもこれは大正解でした。

 

ちなみにお陰で、給料は低いです。

そして、ここで言い訳!

「いやこれは、私の心の固定費だから!」

「この休日日数じゃないと、多分ブレーカーごと落ちるから!」

 

ちなみに休日は、寝るとか好きなことするとか、ぼーっとするとか、結構意図的に心ちゃんを甘やかしてますね。

眠くなったら寝る♪ というやつです。

 

固定費2つ目はお金でしょうか?

ぐぬぬ、私はお金がない…

 

使いすぎはそれはそれでね、不安になっちゃったりしますが、

でも買いたい時は買っちゃいますかね。

 

ボーナスは夏と冬だけ?そんなん知らねー!

私の心が求めた時に買うんだ!

充電が必要な時に買うんだ!

 

ご褒美大事!心の固定費!

 

心のモニタリングは欠かせません👀

インフラですから!

 

最後は、環境ですね!

 

私は基本的に職場選びで絶っ対に譲れないのは

人間関係です。

(気にしいな性格なので)

 

人間関係で、合わないぜ!あーもう無理だ!と思ったら結構短スパンで転職したい所存。

 

今は環境が良くて、実際したことはないのですが、

 

でもやっぱり、人間関係合わないと思ったら、絶対絶対辞めてやるーーー!!!

って気持ちではいます。

 

それだけは自分に許してるって感じかな?

実際できるかどうかは別にして、

 

私は人間関係でヘラった時に、逃げることを、私に許す。何があっても。

 

心構えの話かもしれませんが💦

 

あとは、周りに支えてくれそうな友人や家族がいるかどうかとか、そういうのはかなり気にして生きてます。

 

その為であれば、ある程度のものは犠牲にしてしまいますね。

 

なぜなら!心はインフラだから!!!

電気つけないと!何も見えない!はじまらないのだ!

 

どうですか?「心の固定費」使いやすくないですか?

真面目すぎちゃう人はぜひこんな感じで、

心を穏やかに保つ言い訳をしてあげてはどうでしょうか?

 

もちろん、これはあくまで一例であって、

皆さんがどういうものを優先すれば、心の平穏を保てるのかはみなさんしか知らないと思うので

そこもしっかり考えてあげてみてください。

 

「心の固定費」を決めるコツ

 

ここからは、「心の固定費」の見積もりを行うコツを伝授しようと思います✨️

 

ここをちゃんとしてあげないと、ついつい、「心の固定費」をケチってしまい、こころの電気が止まりかねません😱ので、ぜひご参考に!

 

そのコツとは…

自分の弱さをみとめてあげること

です。

 

メンタルの弱さは、コンプレックスに思う方も多いかもしれませんし、

現代では生きにくいと感じる方も多いかもしれません。

 

でもでも、月並みな言葉ではありますが

弱さを認めることもまた強さです。

 

感情(心)と向き合わずして、どうして「幸福感」を得ることができるでしょう?

 

なにより、自分の弱さを認めて心穏やかになり、周りにそれを振りまけるようになればもはや強さだと、私は思います🙋‍♀️

 

まあまあ、偉そうなことを言ってしまいましたが、少なくとも私は、そうする事で楽になったことは確かです。

 

ポジティブになろう、ポジティブになろう、と頑張っても、なかなか上手くいかなかった私は

 

「この弱弱メンタルで何とかこの世を生き延びなければ」

 

スタンスで生きております。

 

心は目に見えません。

見えないからこそ、少し余分に見積っておくくらいが良いかもしれませんよ?

 

ということで、結構語りました!

以上です!

 

少しでも、あなたのお役に立てたら嬉しいです!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大好きなのに性が少し怖い

 

⚠️ 性的な感情面の少し生々しい表現があるよ!

⚠️ 性欲に対して、少し偏った思想があるよ!

     恋愛感情も性欲も大切なものだから、自分の感覚を大切にしてね!

 

 

私ね結構、性行為が怖いって思っちゃうの。
だから、少しプラトニックラブ信仰だったのね。
それを言語化して整理してみた記録だよ。


なんかね、まず、「好きな人に対する性欲」っていうのが、なんか重いって思っちゃうんだよね。


性欲ってさ、生き物の欲じゃん?

それがね、恋愛と混ざった時にすごく重いなって思うの。

生き物としての生の感情が向けられる感じ...?

 

それにね、それが誰の意思なのかわからなくなっちゃうときがあって、

その人がすごく近くて、でも、遠くに行っちゃうような気もして…。

少しだけ、さみしい。


チ〇チ〇で恋しないで欲しいっていうか
その、自分で制御しにくいものを相手にぶつけるのが少し乱暴な気もしちゃう

 


なんか、その、性欲だって割きれればそれはそれって思えるんだけど、そこに「好き」が混ざるとなんかよくわかんないんだよね


話題のオープマリッジとか、したい訳じゃないけど、

しても構わないような関係性でもいいかもって思ってしまうの

 

そして何よりね、私の「生き物」としての部分が呼ばれるのが怖いの。
私は基本不安が強いから、自分の制御できない感情は怖い
それに、それをよびおこしてやるぜ!みたいな態度で来られると、それ自体に腹が立ってしまって…。

要するに、私の心を乱暴に扱わないで!って思っちゃうのかな。

本来は、好きな人だからそれを預けられるのかもしれないけど、


好きな人は愛せても、

「関係」を大切に思う事が苦手な私だからそう感じるのかもしれない。


でもそれは、恋愛の根本を否定しまった気もして、少し悲しくなっちゃった。

 

 

恋愛の考え方も多様になってきたけど、みんなはどう?

 

私は最近、少し人間不信気味だから、

人生のパートナーという意味では、それは人間じゃなくてもいいかなって思えてきた。

 

人の感情と向き合うのに疲れちゃったのかな。

 

みんなも、自分の気持ちを大切にしてあげてね。

 

落ち込んでいるあなたは、今、最も人間らしく、美しい

 

「仕事が上手くいかない」

「失恋でしんどい」

 

そんな風に悩んでいませんか?

 

こんにちは、みるくてぃーうさぎです!

 

もし、あなたがそんな風に悩んでいたなら、私はあなたのことが好きです!

 

意味分かりませんよね(笑)

 

でも、私は、自分の苦しさやネガティブな感情から目を逸らさず、それを何とかしようともがく、

そういう人が、本当に愛おしいし、尊敬しちゃうんです。

 

今、苦しいあなたからすれば、「ムカつく」という感情が湧くかもしれません。

 

でも、人間が何か苦しい気持ちに向き合っている時って、

向き合わざる負えないほど、

その感情が自分にとって真剣な証拠ではないでしょうか?

力を入れないといけないくらいに強い気持ちなんですよ。きっと。

 

成功したかったんですよね。

好きだったんですよね。

バシッと決めたかったんですよね。

 

その強い「思い」や「愛」があったからこそ、今、その裏返しとしての強いネガティブな感情が湧いている。

 

だから、失恋ソングは私たちの心に深く響くんです。

ネガティブな歌詞の曲が売れるのは、

誰もがその感情の強さに共感し、

自分と向き合っている証拠です。

 

これは、ネガティブと向き合い、処理しようとする時、

人は非常に人間らしく、エモいっていうことなんじゃないでしょうか。

 

何度でも言います。

 

悩んでもがいているあなたは今、最高に可愛くてかっこいいのです。

生きづらい考え方への処方箋:社会=モラハラ彼氏説

 

「仕事できない自分はダメだな…」

「みんな頑張ってるのに、頑張れない私って…」

「社会不適合者だ。社会は私の事なんて求めてない…」

 

もしあなたが今、そう感じて心をすりらしているなら、

この記事があなたの生きづらさを緩和する【処方箋】になるかもしれません。

 

 

こんにちは、みるくてぃーうさぎです。

 

みなさんは、上記のようなことを思ったことはありますか?

私はあります!

 

しかし、なんの専門家でもない私から言わせてもらいますと、

 

みなさんそれは、

<社会くん>からモラハラ受けてますよ!!

洗脳されてるのかも知れません…

 

みたいなことを考えてみました!

 

 

そもそも、

 

「働くのが当たり前」

「社会で役に立たなければならない」

「優秀であることが立派なのだ」

 

というのはですね、<社会くん>が勝手に押付けてくる価値観ではないでしょうか?

働いて稼いで生きる、という社会構造さえ、あなたが決めたことではありませんよね?

みんな、もとい社会が決めたことです。

 

しかし、この社会構造を押し付けるために、

<社会くん>は

 

「働かないやつは最低だ!!!」

「社会で役にたつことが、正しいのだ!」

という価値観、常識を押し付けてくるわけです。

 

 

そしてそれに洗脳された私たちは、

社会に適応しよう、つまり、<社会くん>に気に入られよう、

と必死になり、

それができない自分をひどく責めるのです。

 

 

例えばもし、こんな風に、

友達が恋人から、

 

「おまえは俺の役に立つのが当たり前なんだよ」

「俺に利益を生み出せないおまえはダメなんだよ」

 

と、言われ、

 

「恋人のために頑張らなきゃ」

 

と、疲弊していたら、どうおもいますか?

 

 

「何だこのモラハラクズ男」

「もっと自分を大切にしたらいいのに…」

 

と思いますよね。

 

あなたと<社会くん>の関係はこんなふうになっていませんか?

 

文句を言わない、我慢強くて優しい人ほど、こうなってしまいがちではないでしょうか?

 

 

 

しかしみなさん、もう少し自分のことを大切にしましょう!

 

そもそも、みなさん、<社会くん>のこと好きですか?

私は結構嫌いですけどね。

彼とは合わないんで。

 

ですので私は<社会くん>の中で生きる、

というより、<社会くん>とうまくやっていく方法を模索してます。

 

私の人生の中でいちばん大切なのは「私」です。

<社会くん>じゃありません。

ですので、人生の主導権は社会でなく私がにぎります。

 

 

 

ワークライフバランス

 

ライフライフライフにしたいに決まってるじゃないですか!!!

 

一日中ゲームしたいに決まってるじゃないですか!

映画を見て、笑って泣いて、自分のペースで生きたいです!

 

私の人生なのに!!!

 

でも、<社会くん>がうるさいから!!!

仕方がないから、この「私様」が

 

ワークライフバランスにしてやってるんですよ。

 

週5日、8時間9:00~18:00の時間帯で働けって?

どんだけわがままな男なんや、と。

 

 

ただ私、朝どうしてもしんどい時はこれ正直できないときもあります。

ですので、テレワーク時は朝起きれなかったら

13:00~21:00で勝手に働いてました笑

 

IT職なので可能なことですが。

午前休とろうかとも思ったんですけど、働かないと後の自分の首締めるので😇

セルフフレックスです。

 

だってだって、これが私と<社会くん>の妥協点なんだもん!!!

 

まあという感じで、

私は<社会くん>のこと嫌いだし、<社会くん>も私のことそんな好きじゃないと思いますが、

 

しゃーねーので、付き合ってやってます。

 

 

みなさんも、こういう考え方はいかが?

人生の主役はあなたです!

少しでも楽に生きるヒントになれたら嬉しいです!

 

コミュ障の基準が上がり、落ちてしまった人を私は救いたい

 

本日はくだらない話をします。

 

笑い話なので笑ってください。

 


私はコミュ障です。

しかし、このことを公言することは辞めます。

 


みなさん、こんな経験ありませんか?

 


とあるグループに属していた時のことです。

最近の若い子はですね、もうなんか、自衛なのかなんなのか、

「私コミュ障だからー」

て口癖みたいに言うんですね。

 


で、あまり人と関わってきたことがないピュアピュア〜な私は

「仲間だ!!!」

と思うわけですよ。

 


でも、実際そのグループに入るとね

 


「私コミュ障だからさ〜」

「え、私も私も!同じ!」

「えー、喋れてるじゃん、私まじ迷惑かけるかも」

「いやいや、そんな事ないよ〜」

 


え?何だこの空気はと…。

 


そして思ったんです。

わかりますよね?

 


「お前らコミュ障ちゃうやんけ!!!!!」

 

 

 

違うんですよね、彼らの中では「コミュ障」という言葉は一致してるんでしょう。

実際彼らは、めちゃくちゃにコミュ強というか、いわゆる学校でウェイしてるような感じではなく、比較的大人しい子たちでした。

 


でも、私はその時、誠に勝手ながら、とても疎外感を感じてしまったんです。

 


言葉って言うのはやはり文脈で意味が変わるものです。

彼らの言う「コミュ障」と、私のいう「コミュ障」はズレている。

彼らの「コミュ障」の上に、私は乗れていないんですよ。

 


え?じゃあ、彼らの言葉で私はなんと呼ぶの?

 


そう思った時に

きゅーーーっと胸が痛くなります。

彼らの言葉の中に、文化の中に、私(みたいな人間)は存在しない。

しいて言うのであれば、このコミュニティで私は、

「コミュ障」ではなく「やばいやつ」なのでは...?

 


そう思うと、大袈裟なのですが、

なんか、自分がもう人間じゃないようなものに思えて

なんか、ゴブリンみたいなものに覚えて、1人泣いてました。

 

ここに私の席はない、と思ってしまったんですね...。

 

勝手に。

はい、勝手にです。

 


ここで私は、言葉を作ります。

私は「コミュ障」ではありません。

 

「コミュ障以下のなにか」です。

 


この「なにか」という言葉が、みんなを包み込む大きなお皿になってくれることを祈ります。

 


レッテルではなく、目の前の現象を抱きしめたい

みるくてぃーうさぎちゃんでした。

尊重と調和¦本当の友達を求める私が孤立する理由②~本音と建て前~

 

前回の記事:

milkteausagi.hatenablog.com

 

 

目次

 ・嘘と建前はさみしいのです

 ・一緒にいたいという気持ち

 

嘘と建前はさみしいのです

 

嘘って、どうしてこんなに胸が痛くなるんでしょう。

優しいはずの言葉なのに、どこか心が離れていく。

 

嘘には2種類あるのだと、人はいいます。

白い嘘と黒い嘘

相手を想う嘘と自分のための嘘です。

 

しかし、私の固定観念では嘘は黒一色です。

なぜなら、嘘はさみしいからです。

嘘は、対等でなく、同じでないと感じるのです。

 

「繋がりたかった」気持ちを踏みにじっている、なんて言うと言葉が強すぎるかもしれませんが、誇張するとそういうことに思えます。

 

それなのに人は、相手が「これは面白いだろう」と嬉々として語る話を、

さして面白くないのにもかかわらず、< 全力でない >「面白いね」という言葉で返すのです。

 

相手が全力であったにもかかわらず、こちらは実は全力でありませんでした

というのは、あまりに残酷ではありませんか。

 

嘘をつく、建前を言うという行為は

「まあまあ、全力を出さずとも、仲良くなろうではないか」

と言っているように見えるのです。

 

その言葉は、非常にさみしく胸に響き、

まるで、心を開いた自分が間違っていたかのような

そんな気がしてしまうのです。

 

そしてこの断絶が、私たちは体は共にありながら、

心が全く通っていないような錯覚を起こすのです。

 

 

ですので、私は人の「全力のこころ」すなわち心の真実を尊重し、大切に扱いたいがために、相手に触れず、触れさせない、という結論に至ってしまいます。

 

嬉々として「面白い話」を語る相手に対し、興味を持つフリができず、

「そうなんだね」と下手な相槌を打ち、気まずさに耐えられず席を離れてしまうのです。

 

 

というのが、私の孤立を生んでいると思われます。

 

でも、仲良くなりたいのであれば、やはり騙してでも関わるべきなのでしょうか?

隠して、自分と相手の真実を守り、孤立することでは、「繋がり」は得られないのでしょうか?

 

私のやり方は、やはり、努力の仕方が間違っていたのでしょうか?

 

 

 

一緒にいたいという気持ち

 

私は長い間、「嘘」をかたくなに嫌い、できる限り避けてきました。

 

しかし、とある本を読み、最近私の中に大きな価値観の変化がありました。

これが、この「調和と尊重」を書こうと思った理由にもなります。

 

その本で私は

「嘘をつき、調和を保とうとする世間は愛しい」

と思うようになりました。

 

私は人が好きです。

ですので、人それぞれを尊重したいのです。

人が「その人自身」を偽り、隠し、騙しあうことに、嫌な感じを覚えてしまいます。

それは、人を大切にしていないという事だと思ったのです。

 

しかし、調和を大切にする人は恐らく「真」よりも「繋がり」を大切にします。

過去の私であれば、「嘘で築いた繋がりなど、繋がりではない」と一刀両断するところですが、彼らの中には(もちろん人それぞれですが)嘘をつくことに罪悪感を覚える人も多いのではないでしょうか。

 

そしてなにより、先程指摘した通り、嘘によるつながりは心の孤独を生みます。

しかしそれでも、彼らは繋がりたい、共にありたいという欲求を止められないのです。

 

嘘は裏切りです。

しかし、その嘘は繋がりたかった気持ちの残滓でもあるのだ、と思えた時、私は非常に切なくも、愛しい気持ちになったのです。

 

 

また、私は「普通」という言葉が嫌いでした。これは「個人のこころの尊重」と相対するところに位置するからです。

しかし、この言葉もまた、嘘と同様みんなで共にあろうとした結果だと思うと、途端「普通」というものが、愛しく、恋しく思えたのです。

 

「ひとりひとりの、真実の心への裏切り」(あるいは裏切りではなく目隠しとも言えるかもしれません。)を集めた結果が「普通」という言葉なのではないでしょうか?

 

「普通」というのは、やはり「尊重」とは対にあり、「共にありたい」というみなの心の、嘘の、集合体なのかもしれません。

 

 

そして私は「人が好きだ」というのであれば、この「繋がりたい」という真の気持ちも、受け入れない訳には行きません。

 

そして、少しだけ思ったのです。

個々のこころを尊重し、孤立し「寂しい」と嘆くのであれば、

 

「私も自分に嘘をつくことを許しても良いのではないか」

 

 

 

 

 

 

尊重と調和¦本当の友達を求める私が孤立する理由①

 

あるところに、気弱で寂しがり屋なうさぎがおりました。

そのうさぎには、仲良し4人の動物たちがおり、毎日のように森で探検をしていました。

 

とある日、リスが言いました。

 

リス「ねぇねぇ、今日はお花を積みに行かない?綺麗なお花をおうちにみんなで飾ろうよ!」

くま「いいね!僕もお花だーいすき!」

 

キツネが地図を取りだします。

キツネ「この奥に、花畑があるよ。右に行くと、ピンクの花畑、左に行くと青の花畑だ」

 

リス「ピンクの花畑に行こう!ピンクの方が綺麗だよ!」

ことり「え、絶対そうだよね!私もりすに賛成〜!」

キツネ「僕もピンクかな。華やかでいいと思う。」

 

うさぎ「あ、私も…」

うさぎもピンクが好きなので、そう言いかけたその時、

 

オオカミ「ぼくは青がいいなぁ。」

 

リス「えー!!!なんで!絶対ピンクの方が可愛いよ!」

ことり「そーだよ、オオカミくんは変だ!」

キツネ「青は悲しくなる色だ。よくない。」

 

うさぎは怖くて何も言えなくなっていまいます。

 

オオカミ「みんなはピンクの花畑に行けばいいさ、別に同じ色の花を積まなくてもいいだろう?後で合流しようよ」

 

キツネ「確かにそうだけど…ピンクの方が華やかだ、きっと君は後悔するぞ。」

 

オオカミ「いや、ぼくは青がいい。」

 

うさぎは心の中でひそかにオオカミを応援します。

うさぎもピンクの方が可愛いとおもっているのですが、それでもオオカミを応援してしまうのです。

 

そこからも、リス、ことり、キツネ、はピンクが良い理由を主張し続けます。

しかし、オオカミは「僕は青がいい」の一点張り。

 

うさぎは、内心オドオドすると同時に、この会話の構図に過去の自分の影を見出してしまい、思わず

「多数決だ…」

 

とこぼしました。

 

リス「うさぎちゃん?どうしたの?あ、うさぎちゃんもピンクがいいよね!」

 

うさぎ「え、あ、うん、私はピンクがいいな。」

 

キツネ「まあ仕方がない、オオカミの言う通り別れようか、オオカミ!時計の金がなったらりんごの木の下に集合だよ。」

 

オオカミ「わかった」

 

結局、別れることになった5人組ですが、別れ際、一人で青の花畑に向かうオオカミの姿を振り返り、「さみしくないのかな」とうさぎは心配してしまいました。

 

 

目次

1. 森の物語

2. 個人の尊重を貫くオオカミ

3. 本当を求めて、孤立にさまよう

 

 

2. 個人の尊重を貫くオオカミ

 

こんにちは!みるくてぃーうさぎです。

この話は、私の日常での実体験をモチーフにしております。(どれかひとつをとってというより、様々な体験を集約させたものです。)

 

もう少し、気持ちを詳しく書きますと、

私(うさぎ)は途中、オオカミのことを応援したのですが、それと同じくらい、どうしてこの人は上手に逃げてくれないのだろう、とも思っていました。

私が彼の立場なら、3対1になった時点で間違いなく逃げ出しております。逃げるが勝ちなのです。

この場でこぼした、「多数決だ」という言葉に込められた言葉は、それ故の絶望と皮肉です。

 

ここで、オオカミが勝利するための条件は、ねがえることなのです。

彼を応援すると同時に、同じくらい

「うーん、たしかに僕が間違ってるのかも、、」

と、適当に嘘をついて欲しい、と願っていたのです。

 

オオカミは決して感情的ではありません。

青い花」に対してそこまで執着をしていた訳でも恐らくありません。

また、彼はあまりこの討論を続けていたくなさそうでした。

実際、「不毛だ…」ともこぼしておりました。

 

ではなぜ、その「不毛な」討論を、「嘘をついて逃げる」という最も合理的なやり方で、終わらせなかったのでしょうか?

しかし、私はそこに、

少なくとも私よりは感情的でない彼が

その選択をしなかったことに、なにやら、「人としての熱さ」のようなものを感じたのです。

私はここに、尊敬をしめします。

そう、ここに尊敬を示してしまうような人間なのが私なのです。

彼は度々言うのです。

 

「人はそれぞれさ、みんなちがってみんないいんだ。」

 

すなわち、個人の尊重なのです。

 

 

3. 本当を求めて、孤立にさまよう

 

私もこれまで、「個人の尊重」を大変重要視する人間でした。それが「本当」だと信じていたし、それが「人を大切にする」ことだと信じていたのです。

 

しかし私は、「個人の尊重」を重要視するあまり、「私」と「あなた」を尊重したいがために、相手に触れることを避け、自分の殻にこもり、何度もコミュニティから孤立・離脱して来ました。

(もちろんもっと人間的な自分の失敗も沢山あったのだとは思います)

 

「自分に合うコミュニティに行けばいい」

現実的にいえば多分これが安全な答えだとは思われます。

しかし、自分に「ピッタリ」と合うコミュニティは残念ながら存在しません。

 

でも私は、人が大好きで寂しがりでもあるので、(だからこそ、自分も他人も「尊重」してしまうのですが)出来ればもっともっと皆とピッタリ出来ればと、求めてしまいます。

それに、私は今まで「尊重」するあまり、寄り添うことがあまり出来ませんでした。その結果がこれならば、それは治したいことなのです。(きっと、両立出来るはずなのに皆はしている気がするのに、私にはまだ分かりません)

 

 

尊重と調和は両立可能でしょうか?

 

 

完全には無理でしょう。

 

私にとって尊重は「本当」を求める行為であり、調和はどこか嘘っぽいので、今まで嘘を毛嫌いするあまり、それを避けてしまいました。

つまり、「本当の友達」をもとめて、「共にあること」を避けてしまったのです。

 

これからこの、「本当と嘘」「尊重と調和」

の話を何個かかけたらなぁと思いますので、どうか、わかりやすく書きたいので、読んで、一緒にいてくれたらいいなと思います。